縄文退職 第二の人生
現在私は第二の人生を歩んでいる。
小学1,2年生のとき、「せいかつ」という教科があった。何をしたかは覚えていない。「せいかつ」は、小3から社会になった。
小4か小5のとき、歴史の授業があった。縄文時代を授業で習った。教科書には、縄文人の平均寿命が書いてあって、たしかそれが20歳前後だったような気がする。
それが結構印象に残った。当時、10歳くらいだったので、その時点で私の人生は半分おわっているということだった、私が縄文人だったら。短い!!!
それから、縄文人は20歳くらいで死ぬということを時折おもいだしていた。14歳のときは、あと6年だと思ったし、a歳のときは、あと(20-a)年だと思った。
20歳のころは、「私が縄文時代に生まれていたらそろそろ寿命であろう。」と思った。縄文人は20年で何ができたであろうか。累計何百キロの木のみをひろったり、何個か壺をつくったり、子供を産んだり、鹿を食べたり、歌を歌ったりしたかな。
そして去年の秋大学を卒業した。23歳だった。卒業して、東京のままとパパの家に戻ってきた。それからは、ネットフリックスをみたり、アルバイトをしたり、絵を描いたりしている。
友達は仕事をしたり、進学をしていて少し自分が心配だけど、なんとなく大丈夫なのは、縄文人のおかげである。
縄文時代だったら、私はすでに死んでいてもおかしくない年齢である。だから、もう私は縄文人の一生分は生きました。ということで、いまは第二の人生を生きているという感じ。
今は余生ということです。60歳で定年退職してのんびり100歳までくらすお年寄りがいるように、私は、縄文退職(縄文退職とはなんだ?)した!(定年退職後も金銭や健康や権力などに関してたくさんの悩みを持つお年寄りのように、私も縄文退職したものの、お金や将来についてたくさんの悩みごとがあります。)
記憶、特に昔の記憶は不確定なものなので、縄文人の平均寿命は20歳では全然ない可能性がある。それに、教科書をみてから15年ほどたったので新しい研究結果では縄文人の寿命は更新されているかも。だけど、縄文人の平均寿命が30歳とかだったとしても、私の中では20歳くらいということになっているので、かかってこい!