人と話すときに
私が最近気をつけていることは、人と話すときに、私とあなたの2人だけの関係の中で話せたらいいな、ということです。私が何かの代表になって話したりすることにならないように気をつけよう、ということです。なかなかうまくはいかないです。
(例えば、日本語学校で働くときに、日本語の先生と留学生が話す、みたいなことになるべくならないようにしたい。教室とか、授業の仕組みのせいで、私1人対20人ということになっているけれど、生徒は一人一人好き勝手に生きてここに座ったり勉強したりおしゃべりしたりしていて、私だって好き勝手に生きてこのビルの何階の部屋でみんなに教科書の64ページを開けてください!と言っているので、実際は、私1人と〇〇さん1人、と言う関係が20個できていると思った方がいいと思う。
今日はそれがうまくいかなくて、テスト中でも話をやめない生徒に対して、何度言っても通じないので全員のテストを中断させることでテスト中の話し声に私が怒っていることを見せました。それは、結構良くない。自分のイライラをわかってもらうために、喋らずにテストしてた人からもテストをやめさせて、その、意味不明さを、申し訳なさとしておしゃべりの生徒へ打撃を与えようということだから。
けど、言葉が通じているのかいないのかわからないとき、どうすればいいのかまだわかりません。
たぶん、教材とか教室とかが1対20用になっているから、私には難しいんだと思う。20人座っていて、1人の言うことを聞いてもらうと言うのは、無理があるよ!
だから休み時間のときはいいです。私に用事がある人が私に話しかけてくるから、私もその人と話していればいいです。)
今日は、用事があって歩いていたら「誰か助けてください〜」と大きな声が聞こえて、振り返ったら白杖を持ってる人がいて、ようし任せなさい、と思って声をかけたら腕をガンと掴まれて「信号を渡りたい、他の人は全然助けてくれない、つんぼだ!つんぼ!」と大声で言っていた。私は「ギャー腕を急にガンと掴まれてしまった!それに掴む力が強いぜ〜ヒャー」と思いながら信号の方へ歩いて行った。
信号待ってる間も、その人は「お前らはつんぼだ!」と助けてくれなかった人に大声で言っていたし、自転車の音がしたら「ここで自転車に乗るな!」みたいなことを言っていた。
私はもう、手伝いやめて用事を済ませたい気分になったので、信号渡ったあと、「はい渡りました。もう私は行きます。」と言ったら、「もっと先まで連れて行ってほしい」と言われて、「いや用事があるので」と言ったら、その人腕を離して「バカ女!」と大きな声で言っていた。
私は予想外のことが起きたときニヤニヤしちゃうので、すごくニヤニヤしながらUターンして、信号渡ってH&M行った。
その人が他の人に対して暴言を言っているのはあまり気にならなかったけど、腕を掴む力が強かったのが嫌だったので、信号の先からは手伝いを断ることができて、良かったです。
けど、その後「バカ女!」と言われたときには、ニヤニヤしないで、「うるせぇ!」と言えたらよかったな、とうちに帰ってから思いました。
私には「うるせぇ!」と言う練習が全く足りていないです。いつも困ったときは、ニヤニヤするか、まあ、相手も困ってるからこうなるんだな、と思って自分で勝手に相手に同情してセルフ認知療法をしてしまう。
このセルフ認知療法、私はうまくて、ストレスをかけられても相手に同情して、同情して生まれた偽装悲しみのほうが、相手にかけられたストレスより大きくなっちゃうくらいです。今日の日本語学校みたいに、失敗することもあるけどね。
けどセルフ認知療法、もうほどほどにした方がいい気がしてきました。ないかもしれない悲しみまで背負ってしまうし、相手にストレスをかけられたら、その分はかけ返せるようになりたいと思います。それは、ストレスだけじゃなくて、優しさとか、無関心な部分とか、いろいろな相手と自分との間のやり取りを、相手と自分との間の中で解消したり、増幅したり、してみたいです。
それが、最初に言った、人と話すときに、私とあなたの2人だけの関係の中で話せたらいいな、ということの中身です。
自分も相手も何も代表したり代弁したりしないでお互いを知ったり、助けたり、喧嘩したりしたいです。そういうことで、戦争を止めたりできると思います
今日の人が「バカ女!」と言ったとき、わたしは街のすました常識ある人間であるかのようにニヤニヤ相手の話を聞いていないように去っていったけど、「うるせぇ!」と言えたらよかったな