死ぬのがこわい
今年の夏に書いて、パソコンに保存していたエッセイを少し編集して載せます。死ぬのがこわくて書いた文章なので今までのエッセイよりもゆらゆらしていますね。
死ぬのがこわい
電気を消して、暗いなか目をつむると心臓の音の振動を感じる。心臓の音も聞こえる。鼓動がいつもよりはやいと、ますます緊張する。
心臓の音を聞きながら、まだ達成していない目標、またやれていないことをどんどん思い出す。これらを経験しないまま死んじゃうんじゃないかと思って、本当に惜しい気持ちになる。しかも、老いたり、目標を達成したりしても、やりたいことは尽きそうにないから、結局、死んじゃうときに、いやだー!と思いながら死ぬんじゃないかとおもって、その時の気持ちをかってに推測して、怖いし、かなしくなる。仏教が教えるように、様々な欲を捨てるのは本当にいいと思う。死ぬのを怖くしたくないなら。
心臓が私のあばら骨と胸の皮膚をたたいている気がする。私があなたを動かしています。私が止まるときあなたは死にます。脅迫だ。
日中は自分が生きていることにあまり気づかない。太陽もあるし、空もあるし、明るいから心臓に気づかない。寝るとき、特に寝ないといけないと思って寝るときは心臓がドンドン言っているのに気づく。それはこわい。だから、できれば体力がつきて、寝ない以外になにもできない状態で寝たい。心臓の音に気付かないから。
ドラマを見るのがすきです。気に入ったドラマは3回、4回繰り返し見る。ドラマを見ているときは、特に自分がいつか死ぬことを棚に上げていられる。
誰かが入念に考えて、大勢の人たちが協力して、作られたドラマは、始まりがあって、最終話があって、ドラマに関係ないことは起こらない。
俳優が登場人物を演じてくれて、私がそれをみる。
はまると見続けてしまう。この前は、一話一時間半のドラマを20話、2日で見た。
目を離せなくなる。20話まで、登場人物がどうなるのか気になるから。
何話まであるのかわかるからいい、
死ぬのが怖いのは、あと何話あるかわからないからでもある。
私のママとパパが住んでいる家は、マンションの一階で、私はそこに20年弱住んでいた。そこでも寝るときはこわかった。一階だから、強盗が入ってくる気がしたし、天井のうえにあと数階分の部屋があるのがこわかった。マンションが壊れて、つぶれたらどうしようと思っていた。まいにちまいにち、、、
今は、わたしは違う家に住んでいて、ここは一階じゃないからあまり潰されると思うことはない。
いまは暑いから、外に出るときサンダルを履いている。サンダルで外に出ると、今地震がおきたり、電車で誰かが凶器をもって暴れたり、テロが起きたら全力で逃げられないな、と思いながら歩く。
想像力がある。被害妄想が膨らむ。
遮光カーテンを開けて、レースカーテンだけにして寝ると、朝日で目覚めがよくなる。でも、遮光カーテンが少しでも空いているときは、誰かが外から私の部屋を覗いている気がする。だから、寝るときも起きるときも、誰かが見ている気がしながら、寝たり起きたりしている。
おかねが余ったら、朝日みたいにだんだん明るくなる電球をかいたいな。
献血は私にとって、自傷行為のようなものです。私がびびりで、こわがりで、体裁をきにする人なので、献血にいっている。
寝る前に心臓の音を聞くときくらい、注射が差される前は怖いけど、痛みを感じられる分、ただ眠るまで死ぬのを待つよりは、安心する。